4年間過ごした鹿児島を今シーズンで離れることになりました。
僕の想いを書かせてください。
鹿児島ユナイテッドFCとの出会いは2014年のJFL時代。
当時自分はHondaFCに所属していました。
聞いた事ないチームだったけど勢いがあり、左サイドバックの坊主の人が凄い走ってくるチームだと、みんなで話した記憶があります。
2014年のJFL選抜で東南アジア遠征に行ったときに、当時の大久保監督、あきらくん、カツ、コハラと一緒になったことで鹿児島ユナイテッドFCをさらに知るようになりました。
そこでみんなが「鹿児島来たらいいじゃん!」って言ってくれたのが興味を持ったきっかけでした。
昔からユナイテッドを応援してる人は薩摩川内で点を取ったことも覚えてくれていると思います。
それから紆余曲折しながらも沼津に移籍。2018年の夏に鹿児島ユナイテッドFCからオファーを貰いました。
J2昇格する瞬間。僕は相手チームの選手として出場していました。試合前から「UP to J2」を見せつけられ、JFL時代から確実にこのクラブが大きくなってる姿を実感したのを覚えています。
そして、登尾GMと当時の監督ジョンソンさんにオファーしてもらい、遂に鹿児島の一員として戦えることが実現しました。
J2の開幕戦、「鹿児島の船出。渦潮を超えて行け」の横断幕で奮い立たされ、4-3の撃ち合いをした徳島戦。
なかなか勝てない試合が続いたけど、ようやく勝ち点3を掴み取った琉球戦。
全く負ける気もしない謎の自信が出てきて、ホームでジェフ千葉相手にカオス鹿児島を炸裂させた試合。
生き残れのメッセージを掲げたコレオ。
鹿児島の為にとんでもないサポーターが福岡に来て、鳥肌たちながらアップしてた記憶のある福岡戦。
このサポーターをみてみんなと絶対にJ2に戻らないと行けないと思い、自分のなかでいろいろな想いが浮かんできました。
コロナ禍でサイクルが変わり、規制・制限・自粛・いろいろなストレスを抱えながら過ごした2020年。
試合開催が決まらないなかで、ひたすら対人練習しかやらなかった1ヶ月。
あれだけ鹿児島のサポーターに奮い立たせてもらっていた鴨池で、観客が誰もいない違和感だらけの無観客試合。
6月以降に全日程を詰め込んだせいで、大阪を拠点に1週間鹿児島に帰らなかった遠征。
自分達のスタイルの追求しすぎて勝ちきれず、連敗をした時期。
6-4のお祭りみたいな試合。
最後5連勝したものの、4位フィニッシュとモヤモヤが残ったシーズン。
2021年、キャプテンを務めさせてもらう事になったアーサー新体制。
アーサー監督は、ピッチ内外の規律を重んじる監督でした。
目を見て挨拶してない奴がいるとやり直しさせられ、正解が分からないからとにかくみんなでアーサーの前に連なっていき、1人ひとり深くお辞儀した思い出も懐かしいです。
とにかくトレーニング強度が高く、「コンディショニングゲーム」という史上最強メニューにみんな怯えていました。
みんなが自分達のスタイルを確立する為にサッカーしてたし、ワクワク感がたまらなかったです。
「お前はボランチ、トップ下まで行け!」と言われたことで、サイドバックの概念が変わりました。また、スペースとタイミングの映像を何度も見せられることも...31歳だった僕がもっと成長できると実感した瞬間でした。アーサー監督の戦術はサイドバックの運動量が多く、走りすぎて呼吸筋の肉離れしてたのも思い出です。
シーズン途中で監督が変わり、チームとして確立させたい構造と新しい監督が短期間で体現させる難しさを感じました。2つの想いを汲み取り、キャプテンとしてまとめながらも自分のパフォーマンスに目を向けることが大変でした。
最後は疲れ切って不甲斐ないシーズンを送ってしまったこと、サポーターの期待に応えられなかったこと、本当に申し訳なく思っています。
自分が置かれている立場、解決できなかった未熟すぎる力不足を痛感しました。
そんな3シーズンを過ごした中で昇格する為に自分達に足りないもの、忘れてはいけない降格した時の悔しさ、このままだとJ3に定着してしまうような雰囲気をどうにかして変えたい気持ちを持って今シーズンを迎えました。
試合に出れなくてメンバー外のときも、タノさん、あきらくんから『クラブの為にどんな時でも頑張れ、お前が必要と』言ってくれたことは嬉しかったです。
試合に出れないメンバーも誰一人として手を抜くことなく取り組んできました。やった事が報われなくても、絶対この先の人生で返ってくると自分を信じ続けました。
毎試合、24番を着てスタジアムに足を運んでくれる人、毎回メッセージをくれるファン、サポーター、SNSを通じて皆んなが仲良くなってる姿が何より嬉しかったし、サポーターとクワガタ採りに行って楽しかったことも思い出です。
ホーム最終戦もサポーターの前で、『俺達の夢のせて戦え鹿児島』を歌われたとき、いろいろな感情が込み上げてきました。
みんなと一緒に戦う事ができなくなってしまうのは本当に寂しいし、選手のみんなと仲良く遊ぶ事ができないのも寂しいし、家族のように受け入れてくれて全面的なバックをしてくれた飲食店のみんなと離れるのが何より辛いです。
ただこの契約満了の通達を受けてから自分が何を得て何をするかが大事なので、次に向かって突き進みたいと思います。
ただ寂しいだけであって、人生この先の不安要素は1つもないというのは伝えておきたいです。
鹿児島に来てから、価値観・人生観が大きく変わりました。人としてもサッカー選手としても大きく成長することができたのは鹿児島県民のおかげです。
みんな大好きです!4年間本当にありがとう!!